那賀郡北西部
那賀郡北西部

20 宇奈為神社
延喜式内社。旧郷社。那賀山荘内の最古社といわれる。平安末期に藤原氏の子孫で紀伊国豪族湯浅権守俊明(仁宇氏祖)が仁宇の地を領するにあたって熊野十二社(所)権現を当社境内に勧請(略)。
若杉山遺跡
古墳時代の辰砂採掘砕石遺跡。阿南市加茂町水井若杉の若杉谷に所在。辰砂原石を採掘して、石臼と石杵で辰砂を粉末にし、不純物を除去して水銀朱を抽出したと見られる。 (弥生時代終末期から古墳時代初頭に主体をおく、朱の原石である辰砂の採掘・砕石遺跡で、その広がりは標高350mから150mにわたり、推定10ヘクタールといわれている。朱の精製が弥生後期までさかのぼることはほぼ確実であるといえよう。「日本の古代遺跡 37 徳島」より 採掘遺跡ということや近辺の鍾乳洞の存在から、単に「穴(あな)」という意味にも取れる。)

本ページの画像は国土地理院刊行の数値地図50mメッシュ(標高)・日本III, 数値地図250mメッシュ(標高)、
(財)日本地図センターのJMCマップを使用して作成しました.

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