那賀郡南西部
那賀郡南西部

19 宍喰
宍咋・完喰とも書いた。また古くは脚咋とも書き、「あしくい」とも称し、華喰に通ずるところから、農耕先住民の存在を想定する説もある。地名に関しては、「日本書紀」の「脚咋別」の転訛とする説を「阿波史」は採っている。宍咋荘は鎌倉期〜室町期に見える荘園名。 (侵食による崩壊地には、全国的に蛇喰・猿喰・宍喰などの地名が多い。ここの地名も同様で、「シシ」にはとくに意味はなく、「喰」が「クエ(崩壊地)」の意であることが重要である。 創拓社 日本地名ルーツ辞典より)
海部郷
平安期に見える郷名。高山寺本・刊本ともに「加伊布」と訓む。 これを「かいふ」と呼ぶ例は少ない。

本ページの画像は国土地理院刊行の数値地図50mメッシュ(標高)・日本III, 数値地図250mメッシュ(標高)、
(財)日本地図センターのJMCマップを使用して作成しました.

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