和気郡・温泉郡
和気郡・温泉郡

12 温泉郡
和名抄では「温泉」と記し「ゆ」と訓じてある。 天平19年の「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」に「温泉郡三処」とある。 天平勝宝4年の造東大寺司牒(正倉院文書)に「温泉郡橘樹郷五十戸」と見える。 (初見は「伊予国風土記」逸文に「湯(ゆ)郡」とある。)

倭人伝の国名の中で「をなさな」は特異な4字国名である。 推論としては、弥生時代に温泉の名所であった松山北部に漢語を使用できる人物が来訪し、 当地を「温泉(上古音・uOn-dziuan, 中古音・uOn-dziεn)」と呼んだ。 そして、その音を倭人がその当時の音韻体系のなかであてはめて「をなさな」とした。 さらに、倭人伝において中国語に音訳されて、このような特異な国名が表われたのではないだろうか。
ただし、温泉(うんせん)は字音語であり、大和言葉では「ゆ」と訓読み(義訓)されることになる。 俗には「うんせん」とも読まれており、古い時代においても上流階級のみではなく 庶民のなかでも一部の漢語が使用されていたのではないかと考える。

ちなみに、万葉仮名での音読みの撥音にはmとnがあり、 それらに母音を付けたもので地名を表記することがある。 元明天皇の和銅六年(713)5月2日の官命において、 「畿内、七道の諸国は、郡、郷の名には好き字をつけよ」とされたことに由来する。 「しなの」の場合は「信」のn撥音にaをつけて「信濃」に、 「なにわ」の場合は「難」にiをつけて「難波」となった。 面白い例として「なましな」=「男信」(上野国利根郡?)は、 mとn両方を適用している。

本ページの画像は国土地理院刊行の数値地図50mメッシュ(標高)・日本III, 数値地図250mメッシュ(標高)、
(財)日本地図センターのJMCマップを使用して作成しました.

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