邪馬台国の母国=東四国説

林博章氏が忌部氏の研究と共に精力的に展開されている説です。 『日本の建国と阿波忌部』『倭国創生と阿波忌部』 ( 阿波歴史民族研究会より購入可能)において、大量の有益な資料 とともに邪馬台国の母体としての東四国説が展開されています。

素晴らしい点は、現代考古学の成果と忌部氏の伝承を上手に組み 合わせて考察されているところでしょう。阿波の再興を目指す 研究会がどのように活動されていくのか、今後の発展が楽しみです。

なお、自説との大きな違いは、林説では3世紀の東遷を卑弥呼・ 男弟によるものとしており、箸墓・ホケノが対応するという点です。 自説では、3世紀の東遷はヒルコ・ニギハヤヒ・鳥磐楠船による ものと考えています。 もちろん東四国に径百余歩の墳丘墓がなければ卑弥呼の墓は箸墓周辺 くらいしか考えられないので、現時点では自然な推論だと思います。 しかし、大麻比古神社の「丸山」は本当に墳丘墓ではないのでしょうか?

東遷した一族も鏡を威信財として利用したと考えられます。 自説では、東遷した一族の巫女の役割を果たしたのが 倭迹迹日百襲媛命(卑弥呼=天照大神の近縁)であり、 神がかった状態では天照大神と同一視されたと考えています。

阿波と大和の二系統の統合

四国山上説

大杉博氏によって精力的に展開された説です。四国山上説については、 『邪馬台国はまちがいなく四国にあった』『邪馬台国の結論は四国山上説だ』 (たま出版)でその内容を知ることができます。

両書の素晴らしい点は、倭人伝、記紀にしっかり適合する場所を探すべきだという 批判にあります。特に、その批判に耐えうるような邪馬台国、投馬国、狗奴国 の3大国と傍国21国の具体的な比定案は圧巻でした。 惜しいところは、「地名」と「国名」があまり合致していないというところでしょうか。

さらに、日ユ同祖、契約の箱などなどは持ち出さないほうが、戦略的に よいのではないかと思いました。普通の学者は引いてしまうので。 (まあ、四国説というだけで引いてしまいますが。)


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