中国語原音による音訳って?

 これらの漢字が日本におけるどのような音を表すのか、ということを多くの 研究者が推測しています。しかしいつも感じることは、これは中国原音による音訳であって 倭音によるものではないことを認識していない人が多いということです。 すなわち、日本語には日本語の音韻体系のなかに対立があって それぞれの音が存在するのと同様に、中国語には中国語 のなかに対立があってそれぞれの音が存在し、 そういう二つの体系間で音訳がなされているわけです。 そういったことを単純に考えてしまって、漢音だろうか呉音だろうかなどと、 即断している人が多いように思います。 なお、中国語原音による音訳と倭音による音訳の相違は、 森博達氏著「古代の音韻と日本書紀の成立」を読むとよく分かります。

 私は倭人伝の音訳語の音価を次のように調べています。
(1)倭人伝での音を3世紀洛陽音(推定) (長田夏樹氏「邪馬台国の言語」3世紀洛陽音の推定)とし、
(2)それがそのまま上代につながった場合に、8母音にどのように対応するかを 日本書紀の音訳(α群) (森博達氏著「古代の音韻と日本書紀の成立」) を各行ごとに各段を比べ推定する。

長田氏 『魏・晋の洛陽の音韻体系・・・(略)この洛陽音が、「切韻」で代表される 中古中国語の音韻体系ではなく、大矢透博士の言われた周代古音、 すなわち詩経から後漢に至る詩の押韻が代表する上古中国語の音韻体系であるに 指摘することにとどめておこう。ここで問題とする「魏志」倭人伝に表れた 訳音を訓むためには、再構された魏・晋の洛陽音の体系によらなければならないと する論拠を理解していただけるだろう。』

森氏の批判 『長田氏は、中国人の学者の説を参照して擬定した上古音と中古音とを見比べ、 その中間的な音を三世紀(氏は、上古後期ともいう)の洛陽音と見なしている。 当時の韻文の押韻例を利用しているのは「魚」・「虞」・「模」三韻にとどまる。 また、胡語音訳例を利用しているのは「魚」・「模」二韻に限られている。 ・・・(略)右の例からもうかがえるように、三世紀の韻母の音価推定は容易ではない。』

 以上のように、倭人語の音価推定は困難です。しかし、 できるだけ近い音を知るためには、このような方法しか今のところ思いつきません。 長田氏の推定音は、少なくともいわゆる中古音、上古音をそのまま使うよりは 近い音になっていると思っています。

 なお、次のようなことから、少し修正を加えたほうが良いでしょう。 森博達氏はこの当時の「模」韻の音価を「a-oの中間的な音」と推定しています。 理由は、 『三世紀の西晋以後、各時代の訳経者が梵語の各子音字母をいかなる 漢字によって音訳したかを示した一覧表である「切韻音系」所載の 「圓明字輪譯文表」において見出される。 梵語の各頭子音を漢字によって音訳しようと意図したものだが、 頭子音のみでは音訳できないため、母音/a/を添えた音節を 音訳している。用いられた音訳文字の韻部は、原則として 「歌」韻と「麻」韻を用い、「模」韻はいっさい用いていない。 これから「模」韻が奥舌的性格を持っていたことが推測される。』 また、「伊」は優婆塞の「優」の音訳に使われたそうで、 「u」に近い音価をもっていたのかもしれません。 主母音が上古的な音だとすると、「臣」は「zin-zun」 くらいで考えたほうが良いとおもっています。 「烏」はア行なら「ア」「オ」、ワ行なら「ワ」「ヲ」あたりでしょうか。 「為」が「ワ」だとすると、「ヲ」の可能性を考えてしまいます。 なお、古代の「ヲ」は高いアクセントを持っていたようです。 影母がどのような倭人の音を表したかはそれほど明確ではなく、 難しい問題です。

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