天照大神=卑弥呼説

天照大神=卑弥呼説

 記紀と倭人伝における内容の類似からこの説は多くの学者が唱えている。
ここでは銅鏡に焦点をあてて、記紀の神代が弥生末期〜古墳前期
あたりである可能性が高いことを述べたい。

記紀

 銅鏡はその形態から、「日」と「月」を表裏で示すことができる。

 日本書紀の三神の誕生の段では、以下のように記されている。
「『吾あめのしたしらす珍の子を生まむと欲ふ』とのたまひ、
乃ち左の手を以ちて白銅鏡を持ちたまふときに、
則ち化出づる神有り。是を大日靈尊と謂す。
右の手に白銅鏡を持ちたまふときに、
則ち化出づる神有り。是を月弓尊と謂す。
又首を廻してみるまさかりに、則ち化れる神有り。是を素盞鳴命と謂す。」

 また古事記においてもイザナギは「吾は子を生み生みて、
生みの終に三はしらの貴き子を得つ。」
と述べており、日月に対する崇拝が分かる。
(貴き子は、天照大神(日)、月読命(月)、建速須佐之男命(海原)。)

 さらに天の石屋戸の段において、
「天の金山の鐵を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、
伊斯許理度賣命に科せて鏡を作らしめて、・・・」
とあって鏡の鋳造が記されており、九州を除く西日本では
弥生末期以降の可能性が高い。

 天孫降臨の段においても、
 「これの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拜くが如拜き奉れ。」
とあるように、鏡が重要な祭器であることを記している。

 銅に対して錫の含有率を増すと、銅鏡の製作は困難になるが、
鋳あがった銅鏡は銀白色となり、白色光である日月の色に近づく。
東四国説では、早期に優品の舶載画文帯神獣鏡が副葬された
萩原1号墓の埋葬者をイザナミ(萩原=伯伎+原)、
阿王塚古墳の埋葬者をイザナギ(阿王+海=淡海)と推定している。
すると、阿王塚古墳出土の優品の画文帯神獣鏡2面が、
まさしく日本書紀に記された白銅鏡2面となる。

#2007年の発掘調査によって、萩原2号が1号に先行することが分かってきた。
#すると、萩原2号が2世紀末、萩原1号が3世紀前半〜中頃の築造と推測され、
#2号の埋葬者がイザナミの可能性が高くなってきた。

参考:銅鏡の合金成分変化と「周礼 考工記・六斉・監燧之斉」

魏志倭人伝

 倭人伝には銅鏡百枚が魏より贈られており、
卑弥呼の好物の一つであったと記されている。
さらに詔書には「悉く以て汝が国中の人に示し、
国家汝を哀れむを知らしむべし」とある。
好物であるということは、それ以前に銅鏡が大切に
扱われていたということである。

 四国で古墳に舶載鏡が副葬されたのは、萩原1号墓が
最初(西暦200年前後)と考えられている。
さらに阿王塚でも引き続いて舶載鏡が副葬される。
天照大神の直前の世代はイザナミとイザナギであり、
萩原1号と阿王塚の埋葬者はこの二神と推定される。

舶載画文帯同向式神獣鏡(萩原1号墓)

面径16.1cm、内区欠、3世紀楽浪・帯方郡を通じ輸入(優品)

銘文の復原(日本の古代遺跡「徳島」より)

吾作明竟 天王日月
幽凍三商 統徳序道
配象萬京 天王日月
敬奉賢良 天王日月
曾年益壽 子孫番昌
天王日月 與天無亟
天王日月 見師命長


画文帯神獣鏡(阿王塚古墳)

後藤守一著 「漢式鏡」 p.680より 
 板野郡板西村大字大寺字青塚から発見された
二面の神獣鏡は共に内区を欠失しているが、
いわゆる絵文様ある外区を有しているのに見て、
これを半円方格帯神獣鏡系に属せしむべきものと思う。
而して文様の表現すこぶる鮮明、
支那より舶載せられた良鏡であることを思わしめる。

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