どういう漢字をもちいたの?

 倭人伝の国名や官名の音訳に用いられたこれらの漢字では、 次清音を声母にもつものが回避されたり、 音訳語の語頭に濁音やラ行がほとんど立たないなど、 日本語の特徴をよく表しています。 これは、倭人伝が信頼すべき史料であることのひとつの証拠です。 次清音字の回避は、その対立を知らない純粋の倭人には困難 だと考えられます。このため、 中国語原音をよく知った者がこれらの国名や官名を 音訳したものだと考えられています。 基本的に音訳漢字には小韻の首字が高い割合で用いられており、 特に漢字に意味を持たせずに音訳した可能性が高いと考えられています。

 さて、この比定案によって、倭人伝の漢字音の問題が どのように解釈されるでしょうか?

 まず、濁音が語頭にほとんど立たないという日本古代語の原則が、 「投馬国」と「巳百支国」で成立していません。 これらの国は、それぞれ塩飽諸島、四国西部に比定されており、 それらの地域の位置や古墳の数が少ないことから推測されるように、 畿内とそれほど緊密な交流がなかったとも考えられます。 そのため、この中央日本語の原則に必ずしもあてはまらなくても、 それほど奇妙なことではないかもしれません。

 また、高知における発音は古くは破裂音の前に鼻音が入っていたと 考えられています。 日本語の音訳としては珍しい「躬」「臣」という漢字の 使用理由がここから説明できるかも知れません。

 さらに、現在でも高知の一部では、バ行やダ行の子音が 鼻にかかった音として残っています。 「駄馬」の「バ」が鼻音要素が強い「mba」という発音であったとすると、 音訳者が「b」を選ばず「m」を選んだ可能性は高いと 推測します。なお、唐代においては中国語にそれらの子音の対立がなかったようで、 バ行の音訳に「m」が多く用いられています。

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